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リングリングが大切にしていること

私たちは5つのことを大切に考え活動しています。

1. 障害者が最終的な判断をする
2. 障害者が本来の力を取り戻すための支援をする
3. 地域での自立生活をめざす
4. 社会につくられた「強い人・弱い人」「優れている・劣っている」というレッテルに惑わされない
5. 「障害者もいるのが社会である」と気づく人をふやす

1. 障害者が最終的な判断をする

 自立生活センターリングリングは、当事者主体の組織です。障害者は、長い間、保護され、救済される対象と考えられてきました。その結果、自分自身のことでありながら、自分で決めさせてもらえず、常に誰かに依存することを余儀なくされてきました。しかし、「障害者」の専門家は、まさしく「障害者」です。障害者が、過去の経験の中で、あるいは生活の実践の中で培ってきた、知識や経験や考え方があるからこそ、同じ障害を持つ人の良いサポートができるのです。

 私たちは障害者の問題を誰かに決めさせず、自分たちで決めていくことを決意します。


2. 障害者が本来の力を取り戻すための支援をする

 障害者の中には、自分には障害があるから何もできないと思ってしまっている人が少なくありません。それは、まわりから、あまりにもたくさんの「あなたは障害があるから何もできない」というメッセージを与えられてきたからです。しかし、どんなに重度の障害を持っていても、人の助けがあれば何でも出来ます。

 本来、人間には、力と可能性があります。しかし、自分自身が「できない」と決めてしまうことで、その力と可能性は封じ込められてしまうのです。

 本来の力を取り戻すためには、本来の自分を見つめ、愛することが大切です。障害者が自分の障害を嫌って、健常者になりたがっていては、本来の自分からは遠ざかる一方です。本来の自分と向き合い、自分は決して無力ではないということ、社会の圧力に翻弄されるだけの存在ではなく、圧力にまっすぐに向き合い、社会を変えていく力があるのだという再認識が出来たとき、自ずと力は発揮されるのです。


3. 地域での自立生活をめざす

 どんなに重度の障害を持っていても、自分の好きな地域で、自分の決めた生活をすることができます。今、もしも、それが不可能と感じる瞬間があるとすれば、支援体制が充分に整っていないからです。本人の責任ではありません。

 施設での生活は、個人の望む生活よりもシステムが優先され、障害者の生活が他者によって管理されます。在宅で親や兄弟の保護を受けて暮らす障害者も、いつまでたっても子どもの役割を担わされ、社会の構成員として、認めてもらえません。

 重度の障害を持つ人が、地域で自立した暮らしをすると決めたとき、現状では、越えなければならない様々な壁があります。また、たくさんのトラブルも起こるでしょう。しかし、トラブルがあることも含めて、その人の人生です。自分の人生のリーダーシップを一番うまく取れるのは自分自身であることを信じて、私たちは、地域で暮らす障害者を支援します。


4. 社会につくられた「強い人・弱い人」「優れている・劣っている」というレッテルに惑わされない

 今、私たちの暮らしている社会は、人間の価値を測る傾向があります。ものさしの基準は、能力と生産性です。人は優劣をつけられ選別され、そして、劣っていると判断されれば、排除されます。障害者は、「要らない人」の代表です。このことは、障害者だけの問題ではありません。誰もがお金を稼ぐ能力を失ったとき、システムにのっかれなくなったとき、要らないと言われるということを意味します。人を見ず、人の能力(とくにお金を稼ぐことにつながる能力)のみを見る社会では、本来のその人は大切にされません。

 現在、「強者」と呼ばれている人も、「弱者」と呼ばれている人も、大切にされていないという点では同じです。本当は、「強者・弱者」「優れた人・劣った人」なんて存在しないのです。評価されているのは、本来のその人の姿ではなく、人に貼られたレッテルに過ぎません。そして、そのレッテルは、人を抑圧していきます。強者は常に強者でなければならず、弱者は自らに弱者の評価を下し、強者に痛めつけられることも受け入れてしまいます。

 しかし、社会は人によって作られているのですから、人がそのシステムを変えたいと思ったとき、おのずと、社会は変わっていきます。

 私たちは、この社会の構造を知り、貼られたレッテルに惑わされないと決意します。そのためには、自分に向けられる抑圧にも、他者に向けられる抑圧にも敏感でいること、そして、自らの中に存在する抑圧と被抑圧から目をそらさないことを、根気強く続けていきます。


5.「障害者もいるのが社会である」と気づく人をふやす。

 子どもが社会の中にいるのは当たり前なので、あえて、「子どものいる社会」という表現はしません。子どもも含めて社会だからです。しかし、障害者がいることは、あまり当たり前だと思われていないので、「障害者のいる社会」という表現が存在します。あたかも、社会というものが先にあって、そこに障害者があとから現れたようです。

 しかし、昔から、障害者はいました。これからも、障害者はいます。常に人口のうち何パーセントかは障害者です。それが社会なのです。大人ばかりの社会、女ばかりの社会というと、違和感を感じます。それと同じように、健常者ばかりの社会も変なのです。障害者も含めて社会であり、社会は、障害者もいて、バランスが取れているはずなのです。

 障害者問題というのは、決して障害者が問題なのではありません。障害を持つ人と持たない人の間に違いがあり、その違いに対して配慮が無ければ、問題が生じてきます。

 その問題を、解決するのは、両者の責任です。なぜなら、一定数の障害者を含むものが社会であり、それは社会の問題だからです。残念ながら、これまでは、障害者問題の解決を障害者の努力や我慢にゆだねることが多かったのが現状でした。

 私たちは、このことに気づき、行動を起こす人たちを増やしていきます。

 

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